




さびしさはポケットに入れきしきしとかんじきに踏む明け方の雪
隣家まで雪踏み均す日課なり一軒抜けて道は途絶えつ
除雪機の音絶えてのち廃村のごとき静けさ ただ降りしきる
だんだんと早まる夕餉二日目の白菜鍋に餅を入れたり
笊を編む夫の部屋には二、三人誰かいるごとラジオの笑い
つかのまの光たっぷりすくうため寒中に干す新しき笊
たいせつなピンクと黄色ウォーホルを寒中見舞いにあなたへ送る
雪晴れのポストへのみち消雪の水をよけたり浴びたりしつつ
「塔」2025.4月号 新樹集 吉川宏志選
これは所属している「塔短歌会」に掲載された私の短歌です。
毎月、十首を「月詠」として提出すると
選者がその中から選び、3か月後の誌面に掲載されます。
結社によっては一人の歌人に師事するかたちで選者を選ぶところもありますが
この「塔」では固定の選者を決めず
14名の選者の誰に選ばれたかは毎月、誌面で初めて知ります。
結社の会員なので必ず掲載されますが
悩ましいのはその「場所」です。
選者ごとの頁は二つの鍵のイラストによって3つに分けられており
そのイラストの前後に置かれていれば、その月の優秀歌。
イラストの内側にあればそれ以外。
いわゆる「鍵外」「鍵内」と呼んで、「今月は鍵外(鍵内)だった」と
SNSで一喜一憂したりする。
あくまでも自分の歌づくりの励みにし
ほかの歌から勉強するための位置づけなのに
やはり鍵イラストの内側にあるとガッカリする。
冒頭の短歌は、久しぶりに結社誌全体から選ばれる頁におかれていたので
天にも昇る心地でしばらく一人でニヤニヤしてしまいましたが
その次の号では「鍵内」で、あーダメだー、となりました。
結社に入ったのは、コロナ禍のためZoomで歌会をしていた頃。
当初は楽しくて刺激があって前のめりでやる気一杯だったのが
ここしばらくは他の歌人と話すのが苦痛になってしまいました。
何もわからない頃は好き勝手な感想を自由に言っていましたが
短歌ってそんなもんじゃないぞ、ただの感想じゃなくて「評」をしたまえ、
などと聞いたり読んだりするうちに
いや、まてよ、これってものすごく負担なんですけど。
小学校時代からのツケというのか
昔から何を見ても「好き」「いい」しか出てこないので
読書感想文は死ぬほど苦手だったし
それは今もまったく変わってないんだな、成長してないんだなというのを
この歌会で久々に突きつけられることになったのでした。
「人の歌をうまく読めるようになると自分の歌も上達する」といわれれば
もう絶望的です。
歌会に参加して色々な人とやりとりすれば
わずかずつでも成長できるかもしれない。
対面でできるようになってからは宿泊先を予約して準備しているのに
当日が近づくと体調が悪くなってキャンセル。
それを何度繰り返したことか。
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たかが趣味でなんでこんなに悩むのかわかりませんね。
最近は歌もなかなかできず、月詠十首も大変になってきました。
中には時々月詠の提出をお休みする会員もいるようですが
私には、この「休む」っていうのがとても難しいのです。
ひとたび休んでしまったら、もう復帰できない、と思うわけです。
できたとしても、休んでしまった事実がイヤなのです。
毎月十首出す、何がなんでも出す、決めたら休まない。
この滑稽なカンペキ主義が自分の首を絞めていることは承知しています。
「だったらやめればいいじゃないか」
夫ならきっとそう言うでしょう。命とられるわけじゃなし、と。
そもそも、夫は私の短歌はもちろん、
毎月ウェブサイトに書いている短いエッセイも
もっと言えばラインの「ついでに牛乳買ってきて」もなんにも読みません。
妻が何にもだえ苦しんでいるのか夫には想像もできないでしょう。
書いているうちにだんだん話がズレてきましたのでこの辺で終わりにします。
短歌は、今月もなんとか十首、提出する所存です。





















